有機野菜と俺との出会い

正直俺は料理ができないので、野菜というものにそんなに関心がなかった。有機野菜に出会ったのは、単純にインターネットで見つけた、「脱サラして有機野菜農家で生きていく方法」というような動画を見て感化されてからだ。俺はなんとなくその動画に魅入られ、そしてその動画を作った人に会いたくなって、動画の作者である、後に俺の師匠になる愛知県豊田市のベテラン農家の松本さんに会いに行った。松本さんに色んな話を聞き、俺は無農薬農家になることを決める。そして松本さんの好意で農業研修を1年受けさせていただけることになったのだが、馬鹿な俺は「あ、これだったらそれすぐできそう。」と勘違いして3日で研修をやめて、すぐに畑を借りに行ったのだ。松本さんは唖然としていた。

当然大失敗

俺は何の知識もないのに、ただ単純に種まいてほっときゃ野菜は育つんだ。と考え、さらに友人の助言で「今パクチーが流行ってるからパクチー作ればいいんじゃないか?」と言われ。おおそれだ!と思い、畑一面にパクチーを植えた。そして3ヶ月後、目論見通り見事に成長したパクチーを収穫する直前。はて、これをどこで売ろうか?とその時初めて考えたんだ。そういえば、売ることを考えてなかった・・。とはいえ、俺はすぐにYAHOOショッピングにアカウントをつくり、そこで超激安価格でパクチーを売り出すことにした。そして待つこと1日。アクセス・・・ゼロ。焦った。パクチーはいつまでも咲いていてはくれない。俺は街中のアジア料理屋にパクチーを卸してくれないか走り回った。しかしどこも二束三文でしか買ってくれない。これでは原価割れだ・・。そうして俺の最初の農家で一攫千金の夢は敗れ去ったのだった。

 

失敗から学び少しづつ勉強

見切り発車で大損失を出した俺は、1からスタートするために、工場でアルバイトをしながら再起を図った。俺は松本さんの研修を受けなかったことを後悔したが、それでもなんとか自分で出来ないか模索した。いまさら引き返せない・・。俺は本を買って少しづつノウハウを蓄え、試しては失敗しを繰り返すこと1年。だんだんと有機栽培のコツがわかってきた。といっても、それは何も知らなかったやつが、少し知ったというレベルだ。とはいえ、俺はだんだんと農業が楽しくなってきた。俺は販路をメルカリに移し、個人販売を行ってわずかながらの収入をえはじめた。

 

やっぱり音楽もやりたい

俺はアルバイトが嫌いだ。どこに行ってもすぐに癇癪を起こして、先輩や工場長なんかと喧嘩になってクビになる。だから一人でできる農業を選んだのだ。俺が髪を伸ばしているのは、ミュージシャンでありたい。というのもあるし、元来俺は仙人にあこがれていて、仙人は大概長髪だし、さらに農業やってそうなので、俺もそれに習った。アルバイトをしていると、それに忙殺され、さらに畑をみなくちゃいけないので、音楽をやる暇がなくなってしまった。俺はそれに耐えられなくてアルバイトをやめた。

 

自分の野菜で食いつなぐ日々

家賃と光熱費などをなんとか、メルカリの通販で捻出して、食費は自分の野菜中心に1日1食。この生活を続けていた。貧相な生活を送っていると思うかもしれないが、実はこれがものすごい豊かなのだ。昔横浜に住んでいて、食事はコンビニ弁当ばっかりだった頃に比べ、今は全くお金はかかっていないが、体からみなぎるエネルギーは、その比ではない。また俺の黒々とした髪を見て、同級生たちは驚く。そう。やっぱり有機野菜は体にいいのだ。俺は中途半端な気持ちで農家を始めたが、知らず知らずのうちに有機野菜からエネルギーをもらって、毎日プラス思考で生きている気がする。そりゃたまには落ち込むことはある。でも畑と共にいきているので、いやがおうにも規則正しい生活になる。それが一番の健康管理なのかもしれない。

 

そしてならおかファームへ


メルカリの販売も徐々にきつくなり、俺はまたアルバイトをしなければいけなくなりそうな時、親父が危篤状態との報せを受ける。俺は関東に戻り、親父と最期の別れを済ませた。その時俺の中で何かが変わった。俺は親父が嫌いだった。でも俺は常に親父を意識して生きてきた。あんな人間にはなりたくないと思いながら、いつの間にか似たような人生を歩んでいる自分がいた。俺は何かを変えなければと思った。このままでは、親父みたいに人に迷惑をかけるだけの人間になってしまう・・。俺は全てから逃げていただけなんだ。俺は何かやる。と言ってはうまくいかずに、ついには40を越えて、恥ずかしくなり、誰もいないところに逃げていただけなんだ。親父の死。そして数年前の母親の死。そして、いつかは来る自分の死を意識した時に、俺はもうこれが最後のチャンスかもしれない。と思った。

 

俺は自分のこれまで、いいかっこしだった部分を全て捨てて、ありのままの自分で最後は勝負したいと考えた。俺の全てを出し切って、それをみんなに見てもらい、そして本当の評価をもらいたい。それが俺の最後の挑戦なのだ。ならおかファームは俺の人生の全てをさらけだす、最後の戦いだ。その原動力になっているのが、音楽と野菜なのだ。